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  • 球聖ボビー・ジョーンズと固い信頼関係を結んだ幻のパター

    塩田正
    昭和7年、千葉県生まれ。昭和31年東京教育大学(現筑波大学)体育学部卒業。体育心理学専攻。同年(株)ベースボールマガジン社入社。ゴルフマガジン誌編集長を経て独立。会社役員、短大講師を兼ねながらゴルフライターとし...
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    カラミティ・ジェーンは古い人なら知っているはずだが、ヒッコリーシャフトのパターである。私がゴルフ記者になりたての頃、師と仰ぐ水谷準さん(故人=推理作家、ベン・ホーガン著「モダン・ゴルフ」の訳者)もこのパターに魅せられた一人だった。 カラミティ・ジェーンとは、戦前のアメリカ西部劇のヒロイン。その容姿もさることながら、抜く手も見せず、一発で悪漢をやつけるガン捌きに、身も心も痺れた日本のファンは多かったという。 水谷さんも「カラミティ・ジェーン」とバックフェースに銘が入ったパターを使っていた。そして、水谷さんは普及版だったかもしれないが、このパターをいつも大切に扱った。その頃はパターにヘッドカバーをつける人は少なかったが、水谷さんは自分で編んだ毛糸のカバーをつけて、バッグに入れていたほどだった。シャフトのヒッコリーも、木目がピカピカと光るほど磨きあげていた。 そして、このパターはアメリカのゴルフ史上、真っ先に語られる人物といわれる、ボビー・ジョーンズがこよなく愛したパターであったことも、水谷さんから教えてもらった。だが、時代が変わるにつれて、そのパターにもお目にかかれなくなったし、記憶としても忘れかけていた。 ところが最近、アメリカの古いゴルフ雑誌(1993年米ゴルフマガジン)に目を通していたら、いつか水谷さんが持っていたのと同じカラミティ・ジェーンとともに、ボビー・ジョーンズのパッティング写真が目に入った。 このとき、最近、カラミティ・ジェーンが話題にのぼっていないし、どうなってしまったのだろうという気持と、あの球聖といわれたボビー・ジョーンズと、どのようにこのパターが結びついたのか。俄然、興味が湧いた。

    ボビー・ジョーンズの人生を変えた1発の試打

    カラミティ・ジェーンとボビー・ジョーンズとの仲を取り持ったのは、アトランタにあったジョーンズの自宅に近いゴルフ場で、レッスンプロをしていたジム・メイドンであった。 ジョーンズは1923年の全米オープンを前にした月曜日、近くのナッソーCCで、ジムとスチュワートのメイドン兄弟、それと同クラブのメンバーの4人で、9ホールをプレーしていた。 そしてラウンドの後、その頃ジョーンズがパッティングについて、大変な苦境に立たされているという話がでた。それを聞いたジム・メイドンは、その頃すでにフェースの裏にカラミティ・ジェーンと彫り込まれていた自分のパターを差し出し「こういうのを持っているけど、ちょっと振ってみるかい」といった。 ジョーンズは近くの練習グリーンに行くと、手にしていたボールを放り投げ、いつものように狭いスタンスで、上体をやや深く傾けながら、9メートル先のホールへストロークした。ボールはグリーン上を滑るように転がって、カップに消えた。 ジョーンズは嬉しそうにカップからボールを拾い上げると、 「こんなパターがあったらいいな」 とパターのヘッドを撫でながらつぶやいた。その言葉を聞いたメイドンは、 「君のバッグに入れておくよ」 と、笑顔を浮かべながらいった。 これがボビー・ジョーンズとカラミティ・ジェーンのペア誕生秘話である。

    新パターが支えたメジャー制覇

    ジョーンズはカラミティ・ジェーンを手に入れてから、その1週間後に、なんと念願の全米オープンに優勝したのである。この快挙を27年後、前記のアメリカのゴルフ雑誌は「ジョーンズとカラミティ・ジェーンの固い信頼関係は、彼が引退するまで引き裂かれることはなかった」と報じている。あたかも1923年の初優勝から、1930年に引退するまで、ボビー・ジョーンズが打ち立てた数々の栄冠は、ジョーンズとカラミティ・ジェーンとの合作であったような書き方をしている。 確かに1923年を境に、引退するまでのジョーンズの活躍には目をみはるものがある。例えばメジャーだけでもその優勝回数は、全米オープン4回、全米アマ5回、全英オープン3回、全英アマ1回に及んでいる。8年間にメジャーを13回も制覇したことになる。 「憐れなほど下手なパットをする」といわれた21歳のボビー・ジョーンズが、レイ・ミルズから、トラビスのモデルへと渡り歩き、カラミティ・ジェーンにたどりついた途端に、まるで人が変わったようにアメリカゴルフ界の頂点に上り詰めた。そして1930年には前人未到のグランドスラムまで成し遂げている。やはりカラミティ・ジェーンが、彼に何らかの力を与えたのではないかと思えてならない。 最後に、ボビー・ジョーンズが愛用したカラミティ・ジェーンとはどんなパターだったのか。 1923年にジム・メイドンから受け継いだカラミティ・ジェーンのヘッドは、L型でややオフセットネックのタイプである。そしてシャフトは前述のようにヒッコリー。グリップは革製でやや長めというのが特徴。 ところがジョーンズは1925年終わり頃にフェースを熱心に磨きすぎて、スウィートエリアをぼやかしてしまい、アメリカのデザイナー、ビクター・イーストに頼んで、全くそのままの複製品を作らせ、2代目カラミティ・ジェーンにつなげた。記録によると、この生まれ変わったカラミティ・ジェーンでの勝利は10回を数えたといわれている。
    この記事は弊誌月刊ゴルフ用品界(GEW)2020年3月号に掲載した記事をWeb用にアップしたものです。なお、記事内容は本誌掲載時のものであり、現況と異なる場合があります。 月刊ゴルフ用品界についてはこちら
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